小さな町から大きな感動
                         被災地の方は「手をつないで頑張ろうや」
                             記録メッセージ 市民研究員 辻千代子
 「3・11東日本大震災」から数ヵ月、経ちましたが我が故郷宮城県に「被災者のお見舞い」に家族4人で出かける予定を立てて7月2日には交通の予約券やホテルを取ることが出来ました。
来て欲しくない拒絶反応もありましたが、行くからにはしっかりとこの目で確かめたい そんな思いを背負い、お盆休みを利用して出かけた(千代子は三女)
被災地の状況「破壊された防風林・陸に上がった船・犠牲者精霊塔」 農業田園都市 宮城県南部常磐線「亘理」(わたり)に殆どの姉妹が暮らしている。五軒を見舞うことになった。阿武隈川の河口にもなっている荒浜港で漁師をしている姉(千代乃)の仮設住宅を訪問。家の方は流され、屋敷の防風林の松林も破壊されてしまって無残なものです。また漁船も陸に上がってしまい、ほかの船は墓石の上にあったりさまざまですが、甥の船は何とか修理して使えるようになった。
 二女の姉(千代志)は床上浸水と息子を亡くしたが、しばらく見つからず20日ほど経過して自衛隊の力で見つかり今年は初盆です。
 私達が到着した夜は偶然にも灯篭流しで手作りの灯篭を屋敷内で作っている最中、4人は手伝いながら仏様に手を合わせ、亡くなった甥は学生時代高校野球の選手でもあったので「今甲子園は高校野球で賑わっている」と灯篭に書いて流す準備をしました。夜は荒浜地区追悼式が魚市場で行われ、参加し御焼香をさせて頂くことが出来ました。
 齊藤邦夫町長(小中学一緒でした)の御挨拶の中では町の財産が
マグ二チュード9、1に破壊され47パーセント浸水し、今日まで決死の脱出、岐路に立ちましたが復興と言うにはまだまだではありますが国に対する要望も提出し、以前の元気のある豊かな町として安心・安全の生活を取り戻します〜とのお言葉でした。
 震災で出たごみの量を町役場に尋ねてみました。126万7000トンなそうですが人口 吹田市35万人 亘理町3万5千人 10分の1の小さな町ですがあちこちにがれきの塚があり田畑は茶色で草すら生えません。塩害で白い粉を播いたかのようで当分は休農である。
 被災者の声と私達「おいらは一瞬にして無一物になったが、いまだに涙も出ないんだ?そんな暇がないなぁ」「復興のみちのりは遠く2年の仮設住宅はきっとアッと言う間と思うんだべぇ」
「出来ることからがんばっぺぇ」「自衛隊の支えた活動はすごいぞ、見たこともねえ救援車がどんどん走ったぞ」「辛いのは自分だけではねぇんだ」強いなぁ皆は・・見ているとこれは家族の絆で結ばれており、どの家庭もお互いが励まし合っている温もりだがそれは家族構成に有りですね。 嫁、姑、小姑、甥、姪、孫、ひ孫たち高齢者を筆頭に1歳の子どもまでみんな気持ちや心の環境が良い。私達が研究している環境とは、また観点は違うが環境なのだ!私はがんばれの以外に言葉が見あたらなかった。何処に行っても4人で黙祷をしていた。
 見舞いに行って「大きな感動をいただいた・家族ってこんなもんだ」を見せつけられ、頭に被災状況がぎっしりと詰まった最後には、仙台空港ロビーにて今後の自分たち家族の絆を心ひとつに結束、愚息の言葉にみんなでバンザイ三唱をして帰阪しました(平成23年8月 記)
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